ごじゃはげ

日記と雑記とみじかい創作

土鍋の目止め

おそらく一年のうちでいちばん忙しいと思われる時期が過ぎつつあり、過ぎつつあるだけで完了はしていないんだけど最も大きな山は越えた感じがあるのでほっとしている。毎度のことながら、今の仕事をはじめてから忙しい時期は猛烈に忙しく、暇な時期は閑古鳥も喉を痛めるくらい暇になる。みんなそういうものなのか、私のスケジューリングが悪いのか、あるいはそのどちらもなのかは不明だけどおそらくどちらもなんだと思う。ともかくすこし落ち着きつつあるからさぼっていたランニングをしたり、ちょっと遠いけど安い食料品店まで買い出しに行ったり、図書館に予約していた本を取りに行ったりすることができて嬉しい。

先日、新しく買った土鍋の目止めをした。一人用の土鍋は父からもらったものをすでにひとつ持っていたんだけど、一人で湯豆腐をするにはちょうどいいけど鍋焼きうどんをするにはすこし大きいという微妙なサイズだったため、ひとまわり小さいサイズを新しく購入した。目止めは本当なら米でやるのがいいのだろうとは思いつつ、お粥を食べるタイミングがなかったので片栗粉でやった。こういう生活のひと手間のような作業をしているときがいちばん心が安らぐ。毎日の掃除洗濯炊事とはべつに、わざわざそれをやる、のようなこと。日々生活に必要なことをやっているときよりも、不思議とそういうときのほうが自分がより「生活」としっかり接続している気持ちになる。ありふれた不安症の類なんだろうけど、むかしからふとした瞬間に気が狂うんじゃないかとこわくて仕方なくなることがままあって、そういう不安を逃すための方法として、こういう作業が好きだと思う。たとえば仕事関連の事務的な作業やランニングもそうだし、もっとささやかなことなら爪に色を塗ることや、花の名前を思い出すことなんかもその方法にふくまれるんだけど、一番有効なのは梅酒の仕込みをするだとか、ジャムを煮るだとか、フキンの煮沸をするだとか、風呂場のカビを落とすだとかのような、「生活」に接続した作業をわざわざ行うことだとだいぶ大きくなってから発見した。そういうことをしていると、もちろんその場かぎり気がまぎれるというのもあるけれど、ちゃんとできている、と思えて安心する。
無事に目止めを終えた土鍋でその日は味噌煮込みうどんを作った。実家からもらった讃岐うどんの麺を使ったやや邪道な味噌煮込みうどんだったけどおいしかったです。

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昨日は亀戸天神で梅を見てきた。まだ満開ではなかったけど、ふくらんだ蕾とほころんだ花との両方を見ることができたのでむしろいい時期に行けた気がする。同日なのにちょっと方角を変えたらそれぞれ違った空模様で撮れてしまった。曇天でも晴天でも梅の花はきれいだね。写真が下手なのはご愛嬌。

【100w novel】こぶ男

 踊れ、と言われて男は踊った。足はぎくしゃくとからまって、両腕は所在なく宙をおよいだ。音に乗ろうとするたびに、体が左へ傾いてしまう。左頬の瘤のせいだ。それでも必死で踊った。鬼たちは焚火をかこみながら、濁った酒を飲んでいた。はじめのうちは歯を剥き笑っていたが、やがて顔を見合わせ息を吐き、もういい、と音をとめた。こんな下手な踊りは見ていられない。瘤をとってやる価値もない。お前には醜い瘤がお似合いだ。そう言って、鬼は右の頬にも瘤をつけた。
 帰路、ふいに気がついた。体が傾かない。まっすぐ歩くことが何とたやすい。男は踊った。山道にはもう朝陽が差していた。光のなか、両の瘤をぶるんぶるんと揺らしながら、男は誰よりもうまく踊りつづけた。

【100w novel】ラフレシア

 ヨウちゃんは世界一くさい花の話をした。世界一くさくて、世界一大きい花が南の島に咲いている。南の島ってどこと訊ねたら、ボルネオ、と言った。ボルネオってどこと訊ねたら、南の島、と言った。みんなが帰ってしまった公園で、私たちは砂場にふたりきりだった。その花はとてもみにくいの。ヨウちゃんは言った。そして話した。その花がどんなにみにくくて、どのくらい大きくて、どれほどひどいにおいがするのか。帰らなきゃ、と私は言った。ごめんねと言って立ちあがり、また明日ねと手をふった。
 次の日、砂場に大きな花が咲いていた。花からは、何かが腐ったようないやなにおいがした。でもみにくくはなかった。ヨウちゃんはいつまで待っても来なかった。

【100w novel】魔術

 夕立に崩れてしまった塔の屋根を踏みつける足の親指にあるほくろの色は遠い国では魔術に使われていたという石の色、石のまわりに置かれた蝋燭がすべて溶けてしまう前に願いを千百十一回唱え、猫の髭と月の光をまぜた水、そこに胡椒をすこしと鼠の灰、すべてをあわせて銀の匙でゆっくりと薔薇の苗にあたえた後にそこから咲いた花を摘み、花瓶に挿したその花の色が変わってから三日後にあたたかい雨が降ればあなたの願いは叶います。
 だけど残念ながらこの魔術は、言葉に変えて伝えた時点で効力がなくなってしまうのです。

Look if you like, but......(『アウレリャーノがやってくる』)

高橋文樹さんとはじめてお会いしたときの第一印象は「体幹がつよそう」というもので、はじめて著書を読んだときの感想は「小説がめちゃくちゃうまい」だった。そのとき読んだのは『いい曲だけど名前は知らない』という本で、破滅派から電子書籍で発売された短編集だった。発売になったころ、ちょうど私は破滅派に参加するようになっていて、せっかくだから主催者である高橋さんの著作を読んでみようと思い何の気なしに購入した。タイトルがレイモンド・カーヴァ―みたいでかっこいい、と思ったのもある。
それで何の気なしに購入したそれを何の気なしに読んだのだけど、読んでから後悔した。おもしろくなかったからではなくて、おもしろかったから。おもしろかっただけではなくて、めちゃくちゃうまかったから。こんなにめちゃくちゃうまい人でも本が出ないのか……と、小説を書いている身としては心が折れそうになった。というかすこし折れました。小説投稿サイトの主催者が投稿者の心を折ってくるスタイル、破滅派。

今回読んだ『アウレリャーノがやってくる』は第39回新潮新人賞受賞作を単行本化したもので、著者みずからが出版社をつくり出版したということでも話題となり、できたばかりの版元の一冊目の本にもかかわらず発売前重版という事態となった。さらっと書いてしまったけどすごいことです。
表題作でもある『アウレリャーノがやってくる』は美しい青年アマネヒトが上京し、代理詩人を志して文芸集団「破滅派」に加入して、その面々とかかわっていくことで成長していく物語。収録作の『フェイタル・コネクション』はアルコール依存症の男とルームシェアをする主人公を描いた、著者自身の経験をもとにしたほぼ私小説のような雰囲気の作品。最後の『著者自身による高橋文樹』は著者自身による著者の来歴やなぜ本が出なかったかの経緯などとともに、後半部分ではほとんどラブレターのような山谷感人氏(上記アルコール依存症の男のモデルとなった人物)への激励が記されている。

以上の三作を読み、思いだした言葉がある。

Look if you like, but you will have to leap.

大江健三郎の小説『見るまえに跳べ』に出てくる言葉で、直訳すれば「見たければ見ればいい、でもあなたは跳ばなくてはならない」という感じだろうか。この言葉を思いだしたのは、表題作『アウレリャーノがやってくる』が、収録されている『フェイタル・コネクション』が、解説『彼自身による高橋文樹』が、一貫して、こちらへむかって「跳べ!」と訴えているように感じたからだ。「跳べ!」とこの本は主人公アマネヒトに向けて、やがてくるアウレリャーノに向けて、カントこと山谷感人氏に向けて、それから読んだ我々に向けて叫んでいる本だと思った。ちなみに『見るまえに跳べ』もまた、アウレリャーノがやってくる話であるといえる。こちらの小説の主人公は、終幕において自身の心境をこのように語る。

ぼくはおびえきって、決して飛ぶ決意をできそうになかった。そして結局、二十一年のあいだぼくはいちども跳んだことがないとぼくは考えた。これからも決して跳ぶことはないだろう。(大江健三郎『見るまえに跳べ』(新潮社文庫))

これとくらべてというわけではないけれど、『アウレリャーノがやってくる』のラストは見事だった。ここにはあえて書かないが、読んでたしかめてみてほしい。
『アウレリャーノがやってくる』のアマネヒトには遁走癖がある。彼は事あるごとに、さまざまな場面で遁走する。高校から、モデルの仕事から、パソコン技術の習得から。『フェイタル・コネクション』のカントは小説を書かない。ネットゲームの大貧民にはまり、酒に溺れ、同居人に甘え、小説を書くことができない。跳ぶことができない者たちを描きながら、この本からは跳べという声がつねに聞こえつづける。呪いのように、愛の言葉のように。
二十年間書き続け、みずから会社を興し自作を出版した高橋文樹というひとは跳んだ側の人間だろう。”むこう側”で、体幹のつよそうな男がこちらを見ている。男は言うのだ。俺は跳んだぞ、おまえはどうする? 

www.hanmoto.com

見たければ見ていればいい、でも私たちは跳ばなくてはならない。

『柔和な女』『滑稽な人間の夢』

昨年、正井さんの紹介で杉里直人先生からドストエフスキー『柔和な女』と『滑稽な人間の夢』の二編の翻訳を送っていただきました。
先日読み終わり、どちらもたいへん面白かったのでこちらに感想を書いておくことにしました。ネタバレというほどではないですが内容にふれている部分もあるので、今後読む予定があり、且つまっさらな状態で読みたいという人は飛ばしてください。

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『柔和な女』
自殺した妻の遺体を前に、その夫である男が「生じたことの意味を明らかにしよう」と、過去を回想しながら自らの胸のうちを語りだす。語りだす、といっても誰かに向けて語っているわけではなくて、男は自分の頭のなかで(途中で声を出したりしていてもおかしくないほど興奮している場面もあるにせよ)、終始一貫して自分自身に語りかけている。いわゆる独白形式で書かれた小説。
タイトルにもなっている”柔和な女”とは自殺した妻をさしている。男のひとり語りによって浮かび上がってくる“柔和な女”の肖像。男の”女”への執着ぶりが顕な回顧と告白によって、“女”の輪郭は見えてくるものの、男はおそらくその核心には永遠にたどりつくことができない。“女”について語るために、男は“自分”についてしか語れない。彼はどこまでいっても“自分”ひとりで、語りも、記憶も、視点も、思考も、ぐるぐると”自分”から逃れられず、たどり着いたと思ってもそこにあるのはやはり“自分”のなかの“柔和な女”だ。どこへもたどりつけない男の孤独と絶望、その男によってあぶりだされる“女”の苦しみと絶望、まじわることのない二つの絶望が”女”の不在によって見えてくる様が凄まじい。“女”は物語としては悲劇的な最期を迎えているが、男に閉じこめられた“柔和な女”という檻からは解放され、逆に男を<永遠にとらえることのできない“柔和な女”>という檻のなかに閉じこめてしまったのではないか。そんなことを考えた。
真実をつかむために躍起になって語りながら、語るほどに“自分”をぐるぐるするしかできない男、そこから浮かび上がってくる“女”、その構図が読み手にだけはわかるように書かれているのが面白かった。まるで男の語りによって緻密に執拗に織られた布地が、上からながめることによってしか見えない模様を成しているかのようだった。その模様を、織っている男はけっして見ることができない。

『滑稽な人間の夢』
自殺したいと思っている男が夢のなかで真理を見つける話。
短いながらかなり寓意的な話で、しかし描かれたテーマそれ自体よりも展開に驚かされた。男が夢のなかで死に、墓へ入ってから先の展開がほとんどSF小説の様相で、こんな話があるのか、と思った。具体的に書いてしまうと、宇宙に飛んで太陽を見つけ複製の地球に降りたち、そこで暮らす美しい人類と邂逅する……という展開。私が不勉強だからというのもあるだろうけど、ドストエフスキーにたいしてこうした展開を書く小説家という印象がまったくなかったのでびっくりした。はっきりいってかなり突飛な展開に感じたのだけど、他の著作でもこうした展開を用いたものはあるんだろうか。驚きながら、こちらもやはり執拗に、興奮気味に語られるめくるめく独白に魅了されながらいっきに読んだ。『柔和な女』と同じくこちらも全編をとおして主人公の独白形式の小説なんだけれど、まったくちがう読み味だった。

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翻訳原稿を送ってくださった杉里直人先生は、2020年に『詳注版 カラマーゾフの兄弟』を水声社より刊行されています。

honto.jp

ひとつまえの記事で私が「お金が入ったら詳注版を買う」、と言っていたのはこの本。

今回送っていただいた二作は、もともとは講義で学生さん向けに訳されたものだそうです。多くの方に読んでほしいとのことでしたので、もし読みたいという方がいればご連絡ください。
二作とも本当におもしろかった。丁寧にこまかく脚注がふられていたので、ロシア文学ドストエフスキーにあかるくない私でも楽しんで読むことができました。これを機にドストエフスキー作品、ほかにも色々読んでみようと思います。読めてよかったです。紹介してくださった正井さん、すばらしい翻訳原稿を読ませてくださり、また私の拙い感想にも丁寧なご返信をくださった杉里先生、どうもありがとうございました。

積雪・怠慢・物欲・信心

最近のこと。

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東京に積雪。
当日は家にこもったまま、時々「おお」とか「わあ」とか言いながら窓の外を見ていた。翌日はよく晴れたので、土手でランニングをするも橋下などの日陰部分が凍結していてかなり難儀だったので2キロほど走ってやめてしまった。一日経っていたけれど、白くなった土手はまだ誰の足跡もついていない場所が多かった。せっかくなので雪を踏んだりにぎったりして遊ぶ。何しろ久しぶりのしっかりした積雪。雪をつよく踏んだりにぎったりしたときの、ぎゅむ、という感触がおもしろくてしばらく一人で遊んでいたら、ランニングシューズがぐっしょり濡れて、指もつめたくなってしまった。

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寅年だから爪を黄色く塗っている。色の違う部分はうる星やつらっぽいかなと塗った色なんだけど、写真だとちょっと違うね。

写真はないけど、土手には雪の上をぴょんぴょん跳ねるカラスもいた。若そうなカラスだったからはじめての雪だったのかもしれない。雪が頻繁に見られる地域以外で暮らしている鳥や動物って、生涯ではじめて雪と遭遇したときどう思うんだろう。寒いとかつめたいとか白いとか、楽しいとか不快だとか思うんだろうか。びっくりはしないのかな。私ならめちゃくちゃびっくりして動揺してしまいそうだ。

今も別段好きではないけど、むかしは今より雪が嫌いだった。嫌いというか無理だった。寒いのが大嫌いで冬が苦手で気圧の変動に弱いから、雪はいちばん無理な天候だった。それでも以前にくらべると、そういうものとうまくつき合えるようになったと思う。そういうものと、というかそういう自分と。

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ここ数ヶ月、なんとなく精神的に読書に集中することができなかったのだけど、ようやくまた集中できるようになってきてうれしい。と言ってもまったく読めなかったわけではないから、ブログで月例アップしていた【読んでよかった本】がしばらく更新されていないのはただの怠慢ですが……。
今は数冊の単行本と並行して、去年送っていただいたドストエフスキー「柔和な女」を読んでいる。とてもおもしろいです。後ほど、(公開するかは別として)ちゃんと感想を書いておきたい。ドストエフスキー、私は「カラマーゾフの兄弟」しか読んだことがないのだけど、今年はほかの作品も読んでみたいな。カラマーゾフも読んだのは十年以上前だからもう一度読みたい。手元にあるのは光文社版。お金が入ったら、詳注版を買う。

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お金が入ったらといえば、新年にあわせてランニングシューズを新調するのが恒例だったのに今年はしなかった。どれにしようか、どうしようか、とうだうだしているうちに年末のセールが終わってしまい、新作はまだ試着したことがないものばかりだから実店舗に行かなければならず、そのワンアクションの面倒さにまたうだうだしてしまって今に至る。そういえば前にここに書いたブランケットもまだ買えていない。けっきょくこの冬も、カイロと使っていない薄手の毛布を体にぐるっと巻き付けることで寒さをやり過ごそうとしている。物欲と怠惰がせめぎあうと怠惰に軍配が上がりがち。

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今の家に越してきてから毎年お参りしている近所の小さい神社へ初詣に行ってひいたおみくじ。大吉。
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神様のことはあまり信じていないけど運は信じているので、運だめしとしておみくじはかならずひくことにしている。楽しいから。何かをする基準として楽しいか楽しくないかはかなり重要だし、大事にしたい基準だと思う。
神様をあまり信じていないものだから、神社なんかでお参りするときに手をあわせて心の中で何を言えばいいのかずっとわからなかったんだけど、数年前に「神社でお参りするときには自分の名前と住所を言うのを忘れずに」というような話を聞いてからは、とりあえず名前と住所だけ言うことにしています。おかげでお参りの動作がずいぶん楽になった。願いごとをしなくてもそれだけ言えばいいか、と思えるようになったから。(実際それだけ言えばいいのかはよくわからないけど)。信仰心もなくただイベントとして初詣を楽しんでいるだけの身としては、することが決まっているほうが気楽です。神様だって信心深くもない人間に、あれこれねだられたって困るだろうし。

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試験的にこのブログ記事はポメラを使って書いてみました。
ポメラはふだん掌編やアイデアのメモ書きで使っていて、ブログを書くのもスマホよりやりやすいのでは? と思ったのだけど、うーん。