100w novel
踊れ、と言われて男は踊った。足はぎくしゃくとからまって、両腕は所在なく宙をおよいだ。音に乗ろうとするたびに、体が左へ傾いてしまう。左頬の瘤のせいだ。それでも必死で踊った。鬼たちは焚火をかこみながら、濁った酒を飲んでいた。はじめのうちは歯を…
ヨウちゃんは世界一くさい花の話をした。世界一くさくて、世界一大きい花が南の島に咲いている。南の島ってどこと訊ねたら、ボルネオ、と言った。ボルネオってどこと訊ねたら、南の島、と言った。みんなが帰ってしまった公園で、私たちは砂場にふたりきりだ…
夕立に崩れてしまった塔の屋根を踏みつける足の親指にあるほくろの色は遠い国では魔術に使われていたという石の色、石のまわりに置かれた蝋燭がすべて溶けてしまう前に願いを千百十一回唱え、猫の髭と月の光をまぜた水、そこに胡椒をすこしと鼠の灰、すべて…
自動運転モードのランプが点灯している。散らばったガラス片みたいな星々は、俺を嘲笑うようにして瞬く。何度もやったように、また『緊急停止』ボタンを押す。手ごたえはない。半透明の指先はむなしくボタンをすりぬける。隣席の副操縦士に、「まいるよな」…
シフトを増やしてほしいとリーダーに伝えたけれど、「無理だ」と一蹴された。ロッカールームの壁を殴ったら、その振動で『荷物の取り違えに注意』のポスターが剥がれた。帰宅して、だめだったよと妻に伝えると、彼女は「仕方ないわよ」と爛れた唇を歪めて優…
「ちょっとだけ、お願い」彼女は言った。「ちょっとのあいだだけ、私の代わりに入ってて」陶器のような指がさす先には墓石と、穴と、掘りかえされた土があった。「後悔はさせないよ」彼女が言うから、私は言われた通りに穴に入った。土をかぶって彼女を待っ…
庭仕事をしていたら、種を植えたおぼえのない場所から、ちいさな芽が吹いていた。変だなと思ったけれど、ためしに水をやって育ててみることにした。芽はぐんぐん伸びて葉をつけて、やがて真っ赤な花を咲かせた。花は水をやるたびわたしにむかって、「愛して…
引っ越してから、風呂掃除は一度もしていなかった。忙しかったし、汚くたって全然平気だったから。ある晩、もう真夜中を過ぎてから、風呂場の方から音がした。ざりり、ざりり。そっと扉をあけて覗いたら、緑色の肌をした子どもがしゃがんでいるのが見えた。…
夕暮れ時に妙な歌が聞こえてきた。「たん、たん、ころりん、たんころりん」 外へ出てみると、変わった着物の老人が歌いながら通りを歩いていた。「たん、たん、ころりん、たんころりん」 歌いながら、老人は袖から熟れた柿の実を取り出し、家々の庭に放り投…
すっかり痩せさらばえてもなお、欲望に瞳を爛々とさせた父親は、病院のベッドの上でこう言った。「橋の上で何かの鳴く声が聞こえても、決してそれを見てはいけない。悪いことが起きるから」と。日暮れの橋を渡るとき、私は何かの鳴き声を聞く。今まで聞いた…
「お坊様、どうぞどうぞ」 勧められ、つい一口酒を舐めてしまった。そこからはもう止まらなかった。喉を焼く酒の甘い香りに、かつての快感を思い出した。法衣は乱れ、盃は乾く暇もなく、ただただ愉快でたまらなかった。俺は落ちていた鬼の面を付け、一晩中踊…
やわらかな毛を撫でながら、「ずっと元気でいてね」と私は言った。猫は気持ちよさそうに目を閉じて、鼻先を手にすりつけた。私を見上げ、にゃあ、と鳴いた。猫は私の言葉通り、ずっと元気でいてくれた。十年、二十年経っても、ずっと元気でいてくれた。 六十…
「また来るでしょ?」 私が町へ戻るとき、その子はかならずそう訊いた。夏のあいだだけ過ごす祖母の家。裏山に流れる川が私たちの遊び場だった。もちろん、と私は答えた。約束するよ。「嘘ついたら、水の中に引きずりこんでやるから」そう言った顔をみたとき…