ごじゃはげ

日記と雑記とみじかい創作

【創作】バステト

むかし むかし、 そのむかし、 とても たのしい ころのこと、 いっぴきの ねこにゃあにゃあが、 みちを やってきました。 みちを やってきた ねこにゃあにゃあは、 くいしんぼぼうや という、 かわいい、 ちっちゃな、 おとこのこに、 あいました。
(Once upon a time and a very good time it was there was a meowcat coming down along the road and this meowcat that was coming down along the road met a nicens little boy named baby tuckoo……)

 

 夢の中でたしかに声を聞いたはずなのに、目を覚ました瞬間にはもうその声を忘れている。デスクに突っ伏したまま眠ってしまったせいで腕が痺れている。もう一度、強くまぶたを閉じてみる。暗やみの中、夢の断片をかき集めてみるけれど、その声はもうすでにどこをさがしても見あたらない。
 顔写真入りのICカードをタッチすると、飼育室の扉がひらく。今どきカード式のロックドアを使っているのなんてうちの研究所くらいのものだ。とは言え生体認証システムへ移行させるほどの予算がないのはみんな知っているから、誰もそのことに文句を言ったりはしない。
 今年度は昨年度よりさらに予算を削られた。先日のミーティングで助手の早崎が口にした「この夏はエアコンの設定温度を何度上げればいいんでしょうね」という軽口も、あながち冗談ではすまされない。
「何の役に立つんですか?」
 予算を削ろうとしてくる人間たちは、決まってそのセリフを口にする。何の役に立つんですか? 嘲るような声色、哀れむような視線。何の役に立つんでしょうね。心の中でそう答える。この研究所も、実験も結果も考察も、予算も試算も収益も、あなたも私も何もかも。
 飼育室にはいくつかの檻が並び、そのうちのひとつの前に早崎が立っていた。「おはよう」と声をかけると、早﨑は立ち上がってこちらを振り向き「おはようございます」と言う。
「どう?」私が訊くと、「元気ですよ」と答えた。檻の中でCaT-Pのモデルタイプは体を丸めている。目を閉じてはいるが、耳はこちらに向かってぴんと立ち、尻尾は一定のリズムでぺたぺたと床を打っている。二週間前に生まれた雌の生体だった。私たちはそれをバステトと名づけた。
「食欲もあって、体重も順調に増えています。ただ、」
「ただ?」
「もうすこしうまく鳴いてくれたらいいんですけど」
 早崎がため息を吐く。自分の眉間にしわが寄るのを感じる。バステトは檻の中で、気持ちよさそうに欠伸する。

 ■  ■  ■

『1.

 イエネコが絶滅したのは今からおよそ200年前だと言われている。もっとも、その100年前にはすでに、イエネコは絶滅危惧種の一覧表レッドリストに載っていた。
 イエネコとは、通常体長70センチ以下の食肉目ネコ科ネコ属の動物を指す。その動物を絶滅の危機に追いやったのは原因不明の病である、ということになっている。記録によればはじめてその症例が見つかったのは、1592年のマルタ島だ。造船業が盛んであったこの島の海辺には、イエネコたちがうろうろと歩き回り、にゃあにゃあと日々鳴いていた。しかしある時一匹のイエネコが罹患したのをきっかけに、島内のイエネコは見る間に姿を消していく。病は、ある例外を除き、イエネコ以外のネコ科およびその他の動物には一切感染することなく、イエネコの間にだけ蔓延した。マルタ病と名付けられたその病に罹患したイエネコは、まず尻尾の動きに異常が見られ始めた。尻尾が真っ直ぐに直立したまま、不規則に左右に振れるようになるのだった。その動きから、マルタ病は別名broken pendulum syndrome壊れた振り子症候群とも呼ばれた。尻尾の動きに異常を来してから数日で、ネコは歩くことができなくなる。歩くことができなくなったネコは、しかし苦しむこともなく、ひたすら眠りつづけるようになる。眠っているネコは何か夢を見ているかのように身体を捩ったり、時には気持ちよさそうに甘えた声をちいさく漏らすことすらあった。そうしてそのまま衰弱し、死に至る。尻尾に兆候が見られてから、わずか三週間から四週間のことである。
 原因も媒介もわからなかったこの病はまたたく間に欧州全土、そして世界各国へと広がった。猛烈なスピードで大規模な感染を止められなかった理由のひとつは、当時、ヨーロッパが大航海時代の最中にあったことである。嬉々としてアジア・アフリカ・アメリカ大陸へと繰り出していくヨーロッパ人の乗る船には、船中のネズミを捕るために必ずと言っていいほどネコが乗せられていたのだ。
 爆発的な広がりを見せたこの病により、絶滅の危機に瀕したイエネコに、更なる不幸が降りかかる。16世紀から17世紀にかけて最盛となった魔女狩りである。
 魔女狩りによって、多くの「魔女」たちが迫害を受け、犠牲となった。イエネコは「魔女」のしもべ、あるいはパートナーと見なされた。「魔女」を抹殺しようとすることは、すなわちイエネコを抹殺しようとすることでもあった。同じころ、中国と日本でもイエネコの駆逐が始まる。中国と日本では、ヨーロッパより齎されたマルタ病が、人間にも発症したのである。後年の研究によって明らかになったところでは、感染の原因はイエネコの死肉を食べたことにあった。中国と日本ではイエネコを食する文化があった。通常であれば空中感染や接触感染は起こらないとされていたマルタ病は、病体の死肉を食らうことによってのみ、人間にも感染したのである。数日前まで元気だった人が、突然歩けなくなり、眠り続けて死に至る奇病。人々は奇病を恐れ、媒介するイエネコを恐れた。肥大化した恐怖を抑え込むために人々は凶暴化する。恐怖の根源を根絶やしにするしかない。イエネコは、マルタ病にかかっていてもいなくても、ヒトの手によって駆逐されていった。はじめは恐れによって行われていた殺戮は、やがて習慣化し、条件反射で行われるようになる。ヒトは自分たちにとって有害な、蚊を殺す、ネズミを殺す、同じようにイエネコも殺す。そういう風になっただけのことなのだ。1800年代には、イエネコは絶滅したとされている。

 2.

 ところでイエネコと、それ以外のネコ科の決定的な違いは何か。それは前述した体長のほかに、鳴き声にあったと言われている。他のネコ科の動物(例えばライオン、トラ、ヒョウ‥)が唸り、咆哮するのに対して、イエネコは咆哮しない。咆哮することができない。イエネコは咆哮せずに、「鳴く」のである。今も世界中に残る過去の様々な文書には、その鳴き声が記されている。「meow(英)」「miaou(仏)」「miau(独)」「myau(露)」「miao(中)」と、多くは「M」で始まる鳴き声だが、後に続く音が微妙に異なる。また、韓国の「야옹yaong」や、日本の「にゃあnyaa」など最初の子音からして異なるものもある。
 もちろん今生きている人間で、―それこそ魔女でもないかぎり―本物のイエネコの鳴き声を聞いたことがある者はいない。だから資料にたよるしかない。しかしだからこそ、そのどれもに聞こえると思われる声が出ないかぎりは、これはイエネコではなくて、イエネコによく似たネコ科の動物に過ぎないのだ。しかし、

 ■  ■  ■


 そこで私はキーボードを打つ手を止めて、カーソルの点滅を見つめる。
 しかし、ほんとうにそうだろうか?
 誰も聞いたことがないその声を、あらゆる言葉に呼応するその声であると了解させれば、それはイエネコといえるのだろうか。そもそも、そんな了解を得ることなんて可能なんだろうか。
 発掘されたイエネコの骨や写真によって解明されたのは、イエネコとその他のネコ科の動物の解剖学的差異が舌骨にあることだった。咆哮するためには、舌骨がない、または柔軟な舌骨でなければいけない。しかし舌骨が硬く、しっかりと骨化されて喉に配置されているイエネコは、そうではない他のネコ科とは違い、構造上咆哮ができなくなっているのだ。最近の研究ではマルタ病もこの硬化した舌骨が鍵となっているのではないかと言われている。
 イエネコの再生にあたり、まず提案されたのは顕微授精だった。死骸からできるかぎりフレッシュな精子を見つけて受精、イエネコを誕生させるという方法だ。しかしこの案はすぐに却下となる。マンモスなどとは違って、かつての生息区域、およびヒトにより恣意的に殺された多くのイエネコの死骸は、氷河で凍結保存されたりはしていない。たいていは打ち捨てられ、運が良ければ埋葬されている。だからフレッシュな精子を見つけることなんて、とてもじゃないが不可能だった。
 次に提案されたのはゲノム編集だった。他のネコ科のDNAを書き換えて、イエネコに近いものにするのである。例えばあるネコ科のDNA配列がxoxoxoで、イエネコがxoxooxであったとしたら、その異なる部分(この場合は末尾のxとoの配置)を人工的に書き換える。それによって、爪は小さく、牙はなく、体も小さい、かぎりなくイエネコにちかいものを誕生させることが可能となる。
 かぎりなくイエネコにちかいもの。
 バステトは、まさにそのようなネコだった。検査では、舌骨の硬度も他のネコ科に比べて圧倒的に高い。しかし「にゃあ」とも「ミャア」とも鳴かなかった。時折、「ねうねうNeu-Neu」と喃語のようにたよりない声を出す。かといって、威嚇の際に唸ることはあれど咆哮することもなかった。かぎりなくイエネコにちかい、イエネコではないもの。
 鳴き声の一致は、最後のよりどころだった。鳴き声が一致したら、「これはイエネコだ」と胸を張ろうというのが、我々の暗黙の了解だった。
 誰も聞いたことのないその声。かつて人びとが、まったく違うように聞こえているにもかかわらず、同じ生き物のものであると了解していたその鳴き声。
 ヒトの手によって地上から消したものを、ふたたびヒトの手で再生させることなどあっていいのか。「神への冒涜ではないのか」という批判があった。「神への冒涜」。的外れだと思った。エゴであることと、神を冒涜することは違う。もしも彼らのいう神がいるのなら、その神が彼らの言うような神であるのなら、とうの昔にこんなことにはなっていないはずだ。
 文書作成画面を閉じて、飼育室のモニターを表示する。目を覚ましたバステトが、こちらを見ている。緑色の瞳。音声はオフにしてあるが、鳴いているのが口と喉の動きで分かる。桃色の舌がちらりと覗く。嘲るような声色、哀れむような視線。「ねうねう」、私は声に出して言う。バステトの瞳が、カメラのこちら側にいる私の瞳に吸いついてはなれない。