ごじゃはげ

日記と雑記とみじかい創作

【創作】穴子プリン

 山本十鱒(やまもととおます)の好物は穴子プリンで、それは彼の義理の祖母にあたるミツエさんがよく作ってくれるおやつであった。ミツエさんの家へ行く前日に、彼は濡れたままの長い髪を枕の上に広げながら妻に言う。「明日は穴子プリンがあるかな?」妻は眠りのぬかるみに半分体をあずけながら答える。「どうかしら」
 十鱒の長い髪について、ミツエさんはいつも「お人形さんみたいで素敵ね」と言う。しかし十鱒の生まれた国では「人形みたい」という形容は褒め言葉ではなく、むしろ嘲りの調子が含まれる類のものであったため、はじめて言われたときに十鱒はあまりいい気持ちがしなかった。しかし義祖母の手前それを顔に出すことも憚られ、「でも私は自分のこの長い髪が気に入っています」とだけ言った。十鱒の不愉快など知るはずもない義祖母は、十鱒の艶々ひかる髪をながめながら、「ほんとに、お人形さんみたいだねぇ」とくりかえした。帰路の電車の中で十鱒が妻にそのことを伝えると、それは褒め言葉だったのにと驚いていた。おばあちゃん、あなたの髪を褒めてくれたのよ。それを聞いた十鱒は乗り換えの駅ですぐに義祖母に電話をかけた。私の髪を褒めてくれてありがとうございます、またすぐ遊びに行きます、と。義祖母は受話器を耳にあてながら、はいはいと答えた。ありがとねぇ、そっちこそね、気をつけてね帰りなさいねぇ。ミツエさんはその頃すでに耳が遠かったし、そのうえ受話器のむこうは電車の音や人混みのざわつきがひどくて、十鱒が何を言っているのかミツエさんにはほとんど聞こえていなかった。それでもいい青年が孫のところにきてくれてよかったと、ミツエさんは心の底から思っていた。
 はじめて孫が十鱒のことを連れてきた日のことをミツエさんは今でもしょっちゅう思い出す。十鱒は長い髪を後ろで一つに束ね、スーツなぞ着込んでやってきた。グレーのスーツは十鱒の肩幅と股下にサイズが合っていなかった。二人の結婚までの経緯や十鱒の生い立ちや、現在の暮らしぶりなんかはぜんぶ孫が話してくれた。十鱒はそのあいだずっと居心地が悪そうだった。眉毛を掻いたり足をもぞもぞさせたりしながら、孫が「ね」と振り向くたびにうんうんと相槌を打っていた。きれいな髪の子だ、とミツエさんはその時から思っていた。十鱒の髪の色はむかし、まだミツエさんがミッちゃんと呼ばれていたころに好きだった水飴と同じ色だった。
 孫がひととおり話し終えると、ミツエさんはプリンでも食べるかい、と二人に訊いた。十鱒は孫のほうを見て、孫は十鱒のほうは見ないでうなずいた。ミツエさんは冷蔵庫からプリンを三つ取り出した。昨日の晩に作っておいたのだった。卵と牛乳と砂糖だけで作ったプリンは孫の好物だった。十鱒はプリンをおいしいおいしいと夢中で食べた。
 快速電車に揺られ、鼻歌交じりに窓の外を見ている十鱒の頬に前髪が落ちる。百恵はその髪が日の光に透けるのを見ながら、祖母が言った言葉を思い出す。「お人形さんみたいな」というのは、百恵が百恵の母についてしょっちゅう聞いた言葉だった。近所の人も、親類も、みんな口を揃えて言った。「お人形さんみたいにきれいな子だったのよ」と。百恵はその人形みたいな母親の顔を覚えていない。写真でしか見たことがない。写真で見る母の顔は、たしかに人形のようにも見えたけれど、それは写真だからなんじゃないかと思った。実物はどうだったのか、百恵には知るすべがないけれど、自分が人形みたいでないことだけは幼いころから知っていた。だから十鱒の髪を見て、「人形みたい」と祖母が言ったとき、人形みたいなひとを選べてよかったと百恵は思った。人形みたいなひとを、選んで連れてくることができてよかった、と。そしてそう思ってからすぐに、そんなふうに思った自分に対してどうしようもなく厭な気持ちになった。「プリン食べるかい」と訊いた祖母に、食べる、と百恵はすかさず答えた。祖母のつくるプリンは”す”が多くて、ほとんど茶碗蒸しのようだった。人形みたいな母は、祖母がつくるそのプリンをたいそうよろこんで食べたのだと、百恵は小さいときから聞いていた。陶器の器に入ったプリンを、十鱒はおいしいおいしいとあっという間にたいらげた。これは何というプリンですか、と十鱒は訊いた。祖母はうれしそうだった。「何ってこともないよぉ、どこにでもあるような、ただのたまごプリンだよ」