ごじゃはげ

日記と雑記とみじかい創作

『柔和な女』『滑稽な人間の夢』

昨年、正井さんの紹介で杉里直人先生からドストエフスキー『柔和な女』と『滑稽な人間の夢』の二編の翻訳を送っていただきました。
先日読み終わり、どちらもたいへん面白かったのでこちらに感想を書いておくことにしました。ネタバレというほどではないですが内容にふれている部分もあるので、今後読む予定があり、且つまっさらな状態で読みたいという人は飛ばしてください。

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『柔和な女』
自殺した妻の遺体を前に、その夫である男が「生じたことの意味を明らかにしよう」と、過去を回想しながら自らの胸のうちを語りだす。語りだす、といっても誰かに向けて語っているわけではなくて、男は自分の頭のなかで(途中で声を出したりしていてもおかしくないほど興奮している場面もあるにせよ)、終始一貫して自分自身に語りかけている。いわゆる独白形式で書かれた小説。
タイトルにもなっている”柔和な女”とは自殺した妻をさしている。男のひとり語りによって浮かび上がってくる“柔和な女”の肖像。男の”女”への執着ぶりが顕な回顧と告白によって、“女”の輪郭は見えてくるものの、男はおそらくその核心には永遠にたどりつくことができない。“女”について語るために、男は“自分”についてしか語れない。彼はどこまでいっても“自分”ひとりで、語りも、記憶も、視点も、思考も、ぐるぐると”自分”から逃れられず、たどり着いたと思ってもそこにあるのはやはり“自分”のなかの“柔和な女”だ。どこへもたどりつけない男の孤独と絶望、その男によってあぶりだされる“女”の苦しみと絶望、まじわることのない二つの絶望が”女”の不在によって見えてくる様が凄まじい。“女”は物語としては悲劇的な最期を迎えているが、男に閉じこめられた“柔和な女”という檻からは解放され、逆に男を<永遠にとらえることのできない“柔和な女”>という檻のなかに閉じこめてしまったのではないか。そんなことを考えた。
真実をつかむために躍起になって語りながら、語るほどに“自分”をぐるぐるするしかできない男、そこから浮かび上がってくる“女”、その構図が読み手にだけはわかるように書かれているのが面白かった。まるで男の語りによって緻密に執拗に織られた布地が、上からながめることによってしか見えない模様を成しているかのようだった。その模様を、織っている男はけっして見ることができない。

『滑稽な人間の夢』
自殺したいと思っている男が夢のなかで真理を見つける話。
短いながらかなり寓意的な話で、しかし描かれたテーマそれ自体よりも展開に驚かされた。男が夢のなかで死に、墓へ入ってから先の展開がほとんどSF小説の様相で、こんな話があるのか、と思った。具体的に書いてしまうと、宇宙に飛んで太陽を見つけ複製の地球に降りたち、そこで暮らす美しい人類と邂逅する……という展開。私が不勉強だからというのもあるだろうけど、ドストエフスキーにたいしてこうした展開を書く小説家という印象がまったくなかったのでびっくりした。はっきりいってかなり突飛な展開に感じたのだけど、他の著作でもこうした展開を用いたものはあるんだろうか。驚きながら、こちらもやはり執拗に、興奮気味に語られるめくるめく独白に魅了されながらいっきに読んだ。『柔和な女』と同じくこちらも全編をとおして主人公の独白形式の小説なんだけれど、まったくちがう読み味だった。

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翻訳原稿を送ってくださった杉里直人先生は、2020年に『詳注版 カラマーゾフの兄弟』を水声社より刊行されています。

honto.jp

ひとつまえの記事で私が「お金が入ったら詳注版を買う」、と言っていたのはこの本。

今回送っていただいた二作は、もともとは講義で学生さん向けに訳されたものだそうです。多くの方に読んでほしいとのことでしたので、もし読みたいという方がいればご連絡ください。
二作とも本当におもしろかった。丁寧にこまかく脚注がふられていたので、ロシア文学ドストエフスキーにあかるくない私でも楽しんで読むことができました。これを機にドストエフスキー作品、ほかにも色々読んでみようと思います。読めてよかったです。紹介してくださった正井さん、すばらしい翻訳原稿を読ませてくださり、また私の拙い感想にも丁寧なご返信をくださった杉里先生、どうもありがとうございました。