ごじゃはげ

日記と雑記とみじかい創作

【雑記】東京オリンピックについて

五年前のリオオリンピックで、吉田沙保里選手が負けてしまったとき泣きながら、「応援してくれた皆様に申し訳ない」と言ったのを私はリアルタイムで見ていた。

そんなことないよ、と思った。

よくオリンピックの時に、日本のためにとか、応援してくれる皆のために、みたいなことを言う選手がいるけど、そんなの変だとずっと思っていた。そんなの変だ。彼らは色んなものを犠牲にして、自分の記録のため、自分の勝利のために今日まで頑張ってきた。だからそれにいろんな思いを載せるのは、私たち観客側の勝手だ。彼らは彼ら自身のためだけにがんばればいい。それがスポーツだと思うし、そうあるべきだと思った。

今もそれは変わっていない。国のために、とか国を背負って頑張るべきじゃないと思う。だってそうなっちゃったら、もうそれってスポーツマン精神からかけ離れた何か別のもののような気がするから。

私は東京オリンピック開催に反対している。避けても避けても飛び込んでくるオリンピックについてのあれこれ全て、気持ち悪いと思って毎日見ている。でも選手をせめる気持ちはない。私がアスリートだったら出場するだろうと思うし、私の大事な人が出場していたら応援するだろうと思うから。それに上に書いたような、あくまで個人的な考えとして、私はたとえ誰一人応援していないとしても、本人が決めて本人のためにやることにはそれなりの意味があると思っている。そのことに賛同するかどうかは別として。
それでも、開催を決めた人たちや中止の判断ができない人たち、そういうものに迎合しているメディアをせめる気持ちはある。めちゃくちゃある。

アスリートが出場したいと思うのも、出場するのも当然だ。みんなこのために長い時間を懸けてきただろうし、たくさん努力してきただろうし、スポーツには身体的なタイムリミットもあるだろう。それがなくたって次の五輪に出れる保証なんてどこにもない。
でもそれって、別にオリンピックだけじゃないんだよ。あの甲子園も、あの上演も、あの発表会も、誰かにとってはそういうものだったじゃん。それでも中止したのは何でだったの。

オリンピックを開催することが、もし「アスリートの出場したいという気持ちを全力で支持し、支援します。そのほかの誰かを犠牲にしても、我々はアスリートを応援することに決めたからです。」というものであれば納得がいく。いや、そんな無茶苦茶な理由に納得はいかないけど、でも論理としては納得がいく。でもそうじゃなくて、この五輪は「東日本大震災からの復興」「コロナに打ち勝った証」として開催されている。

そもそも、アスリート側に立つとしても、各国の優れた身体能力者をこんな危険な状況下で一堂に会させて、感染したらどうするのと思う。本人たちの意志はどうあれ、中止してあげるべきだと思うのはそこだ。ワクチンを打っていても変異株がこれだけ蔓延していて、そのうえ後遺症や数年先の身体への影響などはまだわからないことが多いこの感染症の渦中に、一般人より何倍も肉体資本であるはずのアスリートを放り込んでいいの。案の定選手村でも感染者は毎日出ているし、全然安心安全ではないし。

だらだら書いてしまったけど、一番つらいのは医療現場の人たちのことだ。私はたぶん医療関係の友人知人が多い方で、だからSNSでも頻繁に彼らが発信する情報や、声を見る。ほんとうにつらい。

メダルをとった選手にたいして、よかったねと思う。思うけど、心からよろこぶことができない。別の世界のこととして考えられない。同じ世界で割を食っている人を知っているし、彼らだってずっとがんばっていることを知っている。がんばってもがんばっても状況が悪くなる一方で、しかもその悪状況は避けられたかもしれないもので、がんばった先にメダルがあるわけでもない人たち。自分のためじゃない、誰かを救うためにがんばり続けてくれている人たち。だからどうしても、それはそれ、とは考えられない。

五輪は関係がないと言う人もいる。ほんとうに?ほんとうにそうなんだろうか。メディアではオリンピックのお祭りムード一色で、感染者数は激増したのに報道時間は激減。けっきょくワクチンを一度しか打てていないボランティアの人たちは、一体どれだけの人数がどこから何で移動してきているんだろう。五輪に派遣されている医療従事者は今や満床寸前の病床に、日々戦々恐々としているだろうどこかの病院所属の人たちで、五輪用の感染者療養施設は、もともと五輪用ではなかった感染者療養施設。支援金がこないままたびたびの緊急事態宣言に巻き込まれる飲食店がある一方で、多額の税金が投入された大会。都内で行われている検査の倍の数が、あたりまえに毎日行われている選手村。こういう全部は、ほんとうに関係ないんだろうか。パラレルワールドなんだろうか。

五輪で盛りあがっているのを見るたびにこわいと思う。感染者数や、医療の逼迫や、現場の悲痛な訴えを放送した直後にメダルの数について嬉々として話す番組を見て気がくるいそうになる。どうしてそれはそれとして思えるの。どうやって割り切っているの。なんで中止にならないの。なんで開催されているの。

私は自分や、自分の身内や、大事な人たちが感染症にかかるのがこわい。かからなくても、何らかの怪我や病気になったときに、お医者さんにすぐ見てもらえないことがこわい。万が一、命にかかわる何かで入院したときに、そばにいてあげることができないのがこわい。そういうの、みんなこわくないんだろうか。

 

この記事をあげるのは、正直すごく迷った。今もまだちょっと迷っている。ひっこめてしまう可能性もあるけど、でも未来の自分のためにも今文章に書いておくべきかなのかなと思って書きました。